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久しぶりにアトリエ。というのも明日、知り合いが「私の絵が欲しい」と言うのであげることに。これ↓

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メモに使いやすいように空白部分をちゃんと残しておきました。そして実際にメモで使いました。

で、これが一年ほど前の絵↓

似顔絵

長年の投薬に対する脳への影響ということでしょうか…

冗談はさておき、私は絵を描いても正確に描写はというものはできません。陰影というものもいまだに理解できません。つーよりわかんないです。デッサンは苦痛以外の何物でもありません。描いても描いてもストレスが溜まりました。やはり絵は見るに限りますね。

ついでに私は絵を描いた後は、たいていはびりびりに破いて燃やします。そこから出る煙見て軽くトリップした後に次の絵のイメージ、というより幻覚を見ます。私の絵はほぼ自己満足とストレス発散なのでこういう使い道ももありかなって思います。

さて、絵に関しては面白い話を聞きました。絵の値段の付け方というものです。これは伸びると思った画商が絵描きさんの絵を買い取って、お金持ち相手に投資目的で売り付けます。まあ最終的には絵描きさんの絵は、絵に興味が無い人の手に渡るということですね。

もちろんこれは一部の例をおおざっぱに書きだしたので一概には言えませんが、これを聞いたときはちょっと寂しくなりました。私自身芸術というものを理解できるほど立派な感性なんぞ持ち合わせていませんが、だとしたら絵は何のために描くのでしょうか?お金のためだとしたら、綺麗事とはわかっててもやるせないです。

本当に絵って何のために描くのでしょうか?私としては、何かを伝えるものだと思っています。でも、何かを伝えるのであれば言葉で十分ですね。だから私は、絵も言葉の一種だと考えました。

言葉というものは正確ですが、伝えることに関しては情報量が少ないです。感謝の言葉は日本語で言えば「ありがとう」で相手には「ありがとう」以外の意味は伝わりません。よくて修飾語を付けたすのが限度でしょう。ただ、絵はその「ありがとう」という情報量が一気に増えます。母の日に、子供が母に向けて送る絵は、言葉だけの「ありがとう」以上に「ありがとう」を伝えることができるのではないのでしょうか?

わかりやすくたとえると言葉は精製塩、絵は天然塩と言ったらいいでしょうか?不純物が混じれば旨みは増しますし、交じりっ気のないものは正確性があります。どちらも使い方によって分けますし、どちらがいいとは言えませんが。

まあ、だから私の絵は薄っぺらいんですが。伝えるものなんて何もないからです。ただ単にハイになって描いてるだけで、見せる相手もいない。描いては燃やしての繰り返し。私は相手に伝えたいものなんて特にないです。殻に閉じこもってます。あーあ、殻を破れってこういうことね…無理、固すぎてくちばしが折れちゃいます。折れちゃったらごはん食べれなくなっちゃいますもん。私は生きることが大事ですから。

ぢるはいまさら謎かけにはまりました。
2010.08.12 Thu l アトリエ l コメント (0) トラックバック (0) l top
「美術とは自然を切り出すもので、芸術とは人間を写し出すものである」

昔誰かから聞いた言葉です。当時の私はよくわかりませんでしたが、今は少しだけわかります。一流の作品には思いが込められています。愛情、慈愛、怨恨、憎悪…種類は様々でしょうが、見ているだけでそれを描いた人物が何を思い、何を伝えたくて描いたか、私にはまだ上手く読みとめられません。でも、ある種のエネルギーらしきものは感じるようになりました。

「大自然が作り出した芸術」と言う言葉があります。上記で自然を切り出したものが美術と言いましたが、これは矛盾しているのでしょうか?私は前記の言葉をこう解釈しています。「自然があたかも、何か特定の意志を持ったかのようにして、出来上がったもの」と。これは普段ものを言わない自然物、例えば川や森、湖に風というようなものにも、何かの意思があるのではないかという考えに基づいています。自然は言語を持っていないので、直接話しかけてはきません。ですが、そこには意思があると思います。人間と同じように喜怒哀楽、それとも私達には及びもつかない何かを考えているのか…もしかしたらそんな難しいことは考えてないかもしれません。

そして、自然にも寿命があるでしょうか。例えば今日吹いた風、これは一年前に吹いた風と同じなのか、わかりません。そもそも自然に人間の概念を当てはめるのが間違っているかもしれません。ですが自然が語り変えてくる言語を翻訳するには、人間の言葉を使うしかありませんね。この記事の最後は、やはり昔数学の先生から来た言葉で締めくくらせていただきます。

「自然と人間は類似だが相似ではない」














なんでオ○ニーした後って、大自然やらなんやらを考えるんですかね、雨雲さん教えてくださいよ♪

とりあえず今日はこの辺で。それではまた。
2010.01.31 Sun l アトリエ l コメント (0) トラックバック (0) l top
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